【C芽】ひとこと科学 45(シリーズ・お空の下では14:最終回)

【C芽】ひとこと科学 45(シリーズ・お空の下では14:最終回)

みなさん、こんにちは。

少しずつ暖かい日が増えてきましたね。

私のいる福岡では最高気温が20度近くになる日も出てきました。

いよいよ春🌸桜の季節🌸

今年の桜も楽しみですね^^

今回も、科学者の先生方などの「言葉」を届ける取り組み「ひとこと科学」から、松田先生の人気シリーズ「お空シリーズ」。

ついに今日で最終回!😲

ぜひ、これまでの分と合わせてぜひお読みいただけたらうれしいです♪

★今回の投稿★

〈タイトル〉

お空の下では(14)おわりに

〈本文〉

 天空の雲の下の小さな町の歴史から学ぶことは数多い。

幕府に出した大野藩家老内山隆佐のなかに「私たちは主人(利忠公)より強く申し付けられ漢学にも蘭学にも精を出し学んできたが、それは学ぶだけでなく実際に生かすよう心掛けて参りました」とある。

まさにむさぼるように学んだことを、全国に先がけて種痘を実施し、病院を建て、子供や困窮者に目を向けている。

健康・福祉・教育政策の原点を見せられたようである。

ペリーが来航して日米、日英和親条約が結ばれ英語の必要性が出てくると、安政4年(1857年)には大野藩は英吉利文典(辞書)を発行した。

幕府の改革は緊縮、倹約だけで問題解決にならなかったのに比べて、大野藩は倹約の一方収益を図る知恵を追求した。大野屋のシステムは店の数が多いだけでなく金融や流通も含めた利益を追求し、借金の返済に充てただけでなく教育の充実、大野丸の建設も賄った。

 利忠公とこれを支えた家臣団は目的を共有して知恵を出し合った。

その原点はリーダーが皆を集めて「更始の令」で問題をあからさまにしてこれからの困難を自分と一緒に耐えてくれと言い、自らも実行したこと。

町民もこれに感動して協力した人が多かったらしい。

大野の住民は誰も土井さんは偉かった、名君だったと言う。よきリーダのもとにはよい人材が集まることを実感する。

翻って海のない奥越の小藩が船を建造し、幕府より先に樺太の屯田に着手するなどその気概はすばらしい。

三好達治が作詞した大野高校の校歌の一節に「名もゆかし二帆前、大野丸、波乗りゆきし・・・後の子も遅れじものを」とある。

図 1 越前大野城の上り口にある柳神社は明治になって旧家臣らが土井利忠公を慰霊するために建造した神社で、その中に大野丸の図が保管されている。

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*前回までの記事は以下からご覧いただけます。

7月27日「お空に乗って」

https://blog.manabinomake.net/?p=920

8月10日「お空に乗って(続編)ーお空の下ではー」

https://blog.manabinomake.net/?p=930

8月24日「お空の下では(2)」

https://blog.manabinomake.net/?p=981

8月31日「お空の下では(3)」

https://blog.manabinomake.net/?p=989

9月7日「お空の下では(4)」

9月14日「お空の下では(5)」

10月19日「お空の下では(6)」

10月26日「お空の下では(7)」

12月14日「お空の下では(8)」

2023年2月1日「お空の下では(9)」

https://blog.manabinomake.net/?p=1391

2023年2月8日「お空の下では(10)」

2023年2月15日「お空の下では(11)」

2023年2月22日「お空の下では(12)」

https://blog.manabinomake.net/?p=1404

2023年3月1日「お空の下では(13)」

投稿者:松田慎三郎先生プロフィール】

1945年生まれ・京都大学出身・工学博士

原研核融合那珂研究所長、理事を経て2011年から東工大、京大、東北大特任教授、研究員、ITER国内チームリーダ、プラズマ核融合学会長を歴任

専門は核融合炉システム

【「ひとこと科学」について】

専門家の方など専門分野に携わる方の「言葉」を子どもたちや市民に届けていく取り組み。

科学者の先生方や科学技術の実務の現場の方、科学コミュニケーションの活動をされている方などの「言葉」を発信中。

https://blog.manabinomake.net/?p=822



*参考:「市民と科学者のトークグループ CAS talk」について

https://blog.manabinomake.net/?p=5