【C芽】ひとこと科学vol.24「高知が生んだ科学者二人」
- 2022.11.16
- まなサポブログ
みなさん、こんにちは。
科学者の先生方などの「言葉」を届ける取り組み「ひとこと科学」からの第24弾の投稿です。
今日は加藤先生からの「ひとこと」です。
前回の松田先生の記事にあった和紙や石碑のお話。
今回の加藤先生のお話にも石碑が登場します。
石碑が、昔の人の言葉(情報)を伝えてくれています。
大切なことを後世に伝えるためにはやはり「原点」に立ち返ることも必要なのかもしれません。
★「ひとこと科学」第24回投稿★
〈タイトル〉
「高知が生んだ科学者二人」
〈本文〉
2022年9月23日、24日と植物愛好家グループに誘われ、高知市の牧野富太郎記念植物園と佐川町の富太郎生誕の地と牧野公園へ行きました。
私は1日早く高知市に行って、寺田寅彦記念館に寄りました。
漱石の「吾輩は猫である」に寒月君として出てくる寺田寅彦は地球物理学者であると同時に優れた科学随筆家でした。一般には随筆で知られています。
お客が私一人だったので、1時間半ほど係の方とじっくり話せました。
写真は入口の碑です。
よくよく見ると碑文を書いたのが牧野富太郎なのですね。
その下にある「天災は忘れられたる頃来る」と言う、有名な寅彦の文が書いてあります。
この言葉は寅彦の書いた分文章中にはなく、弟子に語った言葉である。
証拠がないのですが、この碑文の字も富太郎の筆であると言われている。
共に東大理学部の関係者でした。
富太郎は講師、寅彦は教授、富太郎は小学校中退、寺彦は帝国大学卒、長命な富太郎(1862-1957年)と短命な寺彦(1978-1935年)、しかし、同郷でお有互い尊敬しあっていたのですね。二人のつながりを知ったのは今回の嬉しい発見でした。
【投稿者:加藤茂孝先生プロフィール】
1942年生まれ・東京大学出身・理学博士
国立感染症研究所室長、日本ワクチン学会理事、米国疾病対策センター(CDC)客員研究員などを歴任
【「ひとこと科学」について】
専門家の先生方の「言葉」を子どもたちや市民に届けていく取り組み。
まずは、主に科学者の先生方の「言葉」から発信中。
https://blog.manabinomake.net/?p=822
*参考:「市民と科学者のトークグループ CAS talk」について
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