【芽育】親の期待
- 2022.09.19
- 学びの芽育

みなさん、こんにちは。
今回は、私自身の経験や背景を交えながら、学びの芽育や今回のプロジェクトを始めた思いをお話ししたいと思います。
その前に・・・
実は、この記事を書いて、公開するかどうか迷って、何人かの友人に見てもらいました。
友人たちが「投稿した方がいい」って言ってくれて。
勇気を出して投稿することにしました。
―――
「うちの子だけなんで〇〇なの?」
「うちの子はなんで〇〇もできないの?」
「あなたの〇〇する気持ちがわからない!」
そんなことを思ったり、子どもに言ったりしたことはありませんか?
そのとき、その子どもは
「期待に応えられなくてごめんなさい」
「〇〇できなくて、ごめんなさい」
「私は/ぼくは、なんてダメな子なんだ」
そう思っているかもしれません。
実は、私は大人になった今でもずっと心の中で「ごめんなさい」と思っています。
親の望むような成績をとれなかったこと、親の望むような道を歩めなかったことにずっと心の奥で「ごめんなさい」と申し訳ない気持ちがなくなることはありません。
子どもたちの「お母さん/お父さんを喜ばせたい」という気持ちは、親や周囲の大人の関わり方によっては、「お母さん/お父さんのご機嫌をとりたい」になってしまいます。
私の家はとても厳格な家庭でした。
親や身内は私に、安定した企業に就職する・大学教授や研究者になる・弁護士や医者などの専門職に就く・専業主婦になる・・・など、いわゆる伝統的な「王道の道」を歩むことを望んでいました。
そうでなくても、せめて「普通の道」を歩んでほしいと・・・。
でも、私はそのどの道にも適応することができませんでした。
独立したこと、個人事業主になったこと、起業家になっていくこと、そういう決断をしたことは、もしかしたら「この子は本当に期待に応えられない子」という決定打になったかもしれないと感じています。
今は、「身内がだれも経験したことのない領域で、自分の道をきわめる!」と開き直りましたが、結構、葛藤もフラッシュバックもありました。
自分自身が子どもの頃からずっと生きづらかった。
だからこそ、生きづらさの連鎖なんて終わりにしたい。
私自身が、自分自身の生きづらさを「自分の生き方」に変えていこうとしているように、
子どもたちにも、今、持っている生きづらさを「夢(生き方)を見つける力」に変えてほしい。
そういうきっかけを一緒につくっていきたい。その過程を一緒に歩みたい。そう思っています。
―――
最近、私のことを「姫」と呼ぶ人がいます。
その呼び方には、私のことや私の思いに共感して、大切にしてくださっている思いがこもっていることを感じています。
だけど、最初はちょっとこそばゆくて、気恥ずかしくて、少しからかわれてるかも?と感じてしまったり・・・
「なんでそう感じるんだろう?」って思ったときに、そういうふうに「自分の思い」や「好きなこと」を大切にしてもらえた経験がほとんどなかったからなんだと気づきました。
きっと私を育ててくれた大人たちは、私のことは大切に思ってくれていたとは思います。
だからこそ期待もしたし、叱咤もしたんだと思います。
そう、それは、本人たちは「叱咤激励」のつもりだったかもしれないけど、私にとって激励にはなっていなくて、ただただ「叱咤」だった。
私の本質的な「私の思い」や「私らしさ」は否定されるばかりで、私はいつの間にか自分を大切な存在だと思えなくなっていました。
前出の方が「今の姫は一人じゃないよ」とも言ってくださいました。
その言葉にすごく心があたたまったんです。
この言葉はこれからきっとずっと私を支えてくれる言葉になる宝物です。
その言葉を、私も子どもたちに伝えていきたい。
本当は、みんな姫でみんな王子なんだと思います。
私は今回の「いのちのひとこと構想」をとおして、ひとりひとりが姫や王子になって、ひとりひとりの個性に光があたって、ひとりひとりが一番自分らしい場所で自分らしい方法できらきらできるような、そういう子たちを育てていきたいと思っています。
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